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はあ、テンション下がるわあ。。。

今日は、仕事休みでした。
まあ、昨日からドキドキもんです。
絶対北山ツーリングしたろうと思ってたんですけど、昨日の夜からおなかの調子悪し!
あまり遠くも微妙やと思って、ご近所しっかり遠回り周回コースを考えたんですが、女房曰く“昼までには帰ってきてね”と。。。。もうっ!

仕方ないなあ。。。
大正池越えて、久しぶりのジェットコースター。プリアモはここがメチャクチャに速いです。
加茂の駅前で踏み切り待ちしていると、ふと目に入ったものが。。。。
“大仏鉄道遺構めぐり”

こんな看板あったっけかなあ?

気になるので巡ることにしました。
おやじクラブの面々は既にご存じかもしれませんが、このブログでは語ってなかったと思います。


まずは、この写真をご覧あれ。
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加茂駅からちょっと西へ行ったところに置いてあるSLの手前から撮りましたのですけど、線路との間が妙に広いでしょう?実は、ここの部分に大仏線が走っていました。

解説します。
まず、看板にある“大仏鉄道”というのがそもそも間違い。正しくは“関西鉄道大仏線”です。
この関西鉄道、名古屋から柘植経由で草津まで線路を引きよりましたあと、柘植から大阪進出を企み線路を延ばしてきよりました。加茂まで線路が到達したのは明治30年やそうです。ここから梅谷を経て、奈良の北の方まで線路を延ばしたのが半年後やそうですから、すさまじき突貫工事ですね。
あの辺りの鉄道は、なんと伊賀上野方面から線路が延びてきたのですよ。知ってた?


さて、先に進みましょう。
僕はあんまり興味ないですが、C57です。車番は56。区名板によると奈良機関区所属のカマやったようですね。
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しばらくの間は大仏線跡と現在の大和路線は併走しています。
肝心の“大仏鉄道めぐり”の看板は線路跡はトレースせずに最短距離の車道を進みます。

川沿いの道に入っていきますが、こんな道走ったこと無い!走ったこと無い道はなかなかよろしい。ええおっさんがワクワクします。

うねうねと走っていくと、
“おお!ここかいな!”という場所でした。
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観音寺橋台です。
丁度ええ具合に大和路線の電車が通りました。手前の橋台が大仏線跡のものです。
およよ、看板がありました。頑張って整備したみたいね。
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少し行くと、もういっちょう橋台跡があります。
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“観音寺小アバット”だそうです。


これより先、道はダートです。
ユーラス+コンチGP4000が泣きます!
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この写真あたりで、道と大仏線跡がクロスしているようです。大仏線跡は右手前から左奥へ進んでいきます。その築堤をぶった切って、道をつけたという感じでしょうか。大仏線跡の築堤はすさまじい藪ですので、素直に道を行きますが、こんなってきます。。。
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悲惨!。。。。


砂利道よりはパンクの危険も少ないかと、訳のわからない納得をして進みます。
すると、とんでもない橋を渡らされます。今にも崩れそう。。。(近い将来絶対に落ちると思います)
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下には水が流れています。(シートピラーの左、光ってるの解りますか?)
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解説しましょう。
この橋の下の谷は大仏線跡ではなくて関西本線の旧線です。現在の大和路線は、さっきの道と線形がクロスするポイントの少し先から右にカーブして新鹿背山トンネルをくぐります。旧線は、大仏線と平行して例の藪の中に消えていきますが、藪の中で大仏線は築堤上に上り、関西本線旧線は下り勾配を旧鹿背山トンネルに向かいます。これは僕の私見ですけど、関西本線の旧線は、現在の新線から分岐してから旧鹿背山トンネルの手前までは大仏線跡の線路跡を共用していたと思います。従って、正確な大仏線の廃線跡はここからだと言うことが出来ます。さっきの橋台跡は関西本線旧線跡も兼ねるわけです。どうでもええか。。。

橋を渡ると、ぐぐぐっと大仏線の築堤跡に上らされます。築堤を越えると、市道(舗装)に出ます。

ここには僕が関西鉄道大仏線を知ることになった1冊の本の表紙を飾った遺構があります。
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鹿背山アバット

本の名は“鉄道廃線跡を歩くII 宮脇俊三監修”
現物は女房の実家のお義母様の本棚に。。。。“いつか歩く”んだと。。。。

下の写真あたりで、市道と大仏線跡の築堤が合流します。ここ遺構、市道は完全に廃線跡を走ります。
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右の道は関西本線旧線の鹿背山トンネル上を越えていきます。ちょっと下りたところの広場から西側の抗口が見えますねん。

さて、ゴルフ場の脇道を下りていくと、件の廃線跡を歩く本には載っていなかった遺構があります。
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“梶ヶ谷トンネル”です。
本当に明治時代の作品?ちょっと補修してるのとちゃう?というくらいに綺麗です。
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イギリス組なんだってよ。。。。フランス組がマニアックで好きなんだけどね。。。

反対から見たところ。
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梶ヶ谷トンネル跡からちょっとで、有名な赤橋です。
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この赤橋は上をさっきの市道が走っていますがふと築堤を見上げると、列車が来てもおかしくない風景です。
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どう?


赤橋をくぐると看板がありました。
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で、見上げてみました。。。。
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大丈夫かいな?この道。。。上のアスファルトの道路支えてるのこれだけ?4本は丸太やし!


市道はこの先で梅谷交差点に出ます。昔はここに井関川を渡る橋台跡が残っていましたが、今は跡形もありません。
下ってきた方向をのぞむと、、、、
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この勾配を明治時代のSLが走れたなんて!考えられません。
反対方向も、、、、
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思うに、撤去された井関川の橋台跡も含めて、ここの谷部分を結構ダイナミックな橋梁で越えていたのではないかと。。。。ああ、どんなんやってんやろう?


井関川を越えると、奈良市に入ります。奈良市にはいると、遺構巡りとかの看板は全くなくなりますけど、ここを見て下さっている皆様のために続けてガイドしましょう。

梅美台の中心道路県道44号線は大仏線跡です。州見台からの道路との交差点の下にそれはあります。
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松ヶ谷隧道跡
前はそばまで行けなかったように思いますけど、今日は行けました。なんで?



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梅谷口交差点の下にある鹿川隧道。人が通るためのものではなくて水路トンネルだす。



しかし、ここまで、様々な急勾配を経由させられました。大仏線が、木津経由線が出来たとたんに廃止になった理由でしょうね。
ちなみに、鉄道は2%を越えると急勾配です。2.5%になると、今でも補機が繋がれることもあります。近鉄奈良線の瓢箪山から石切まではマックス4.5%の超急勾配ですぜ!興奮するぜぃ!


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さあ、いよいよ市内にはいると廃線跡の雰囲気はまったくありませんが、上の写真は“黒髪山トンネル跡”です。
この切り通しは元々トンネルでした。道路拡張の際に切り崩されたそうです。

この先、線形は住宅地に飲み込まれていきます。車の多いところはおもしろくないので、今度は“奈良 歴史の道”に踏み込んでみましょう。歴史の道は、昔々龍神丸さんに案内してもらったことがあります。龍神丸さんどないしてはるんやろう?

さっきの切り通しの上の橋を渡りますねんけど、ほんの少し脇に逸れるだけでほぼ直登ですので、まあまあしんどいです。
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こんな石道標が点在しています。

少し行くと、ドリームランドの跡地に出ました。
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ドリームランドも、一世を風靡した遊園地やったんですけどねえ。昔は大阪エキスポ奈良ドリーム京都キャッスル宝塚ファミリーやったんですけど。。。。今や、全部無くなってしまいましたね。


坂道を南に下って信号を渡ると、大仏線跡のモニュメントがあります。せっかくここまで大仏線跡をガイドしてきたので、最後のガイドポイントいうことで。。。
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これから南に大仏線の遺構は何もありません。完全に住宅に飲み込まれてしまっていて、関西本線に合流していたポイントですら、まったく想像もつかないのです。
歴史の道に引き返しますけど、これがなかなかロストしやすい!山背古道もそうですけど、歩くスピードというのはいろんな情報が目にはいるようです。自転車のスピードでは目に入ってくる情報が少ないですね。いろいろ考えさせられます。
そんなことをしていると、道をロストしてしまいました。
ドリームランドの西口からぐるっと、ドリームランドの跡地を蝟集して元の道に帰ってきてしまいました。ありゃりゃ?

歴史の道に戻って、R24を横切れば、ウワナベコナベ古墳。
めんどくさいので、あとは歌姫街道を通って帰りました。

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どう考えても自転車の選択ミスです。


歴史の道を知りたい人へ、
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気がつけば、物凄い大作スレッドになってしまった。。。。。


おわり
by tamz_ortho | 2009-05-21 17:39 | CARRERA PRIAMO RACE