カテゴリ:追憶( 23 )

最近、ネットするのも億劫なくらい忙しいです。
理由は色々あるけれど、日々の仕事の忙しさ+αの忙しさで、メールも見れない日が続いていました。
今日、とりあえずは一段落した気がします。。。。。いや、そんなことないか。。。。

ま、それはさておき、今日帰ってきてネットしていると、僕が日常閲覧させてもらっているブログに懐かしい場所がアップされてました。。。。。ここの管理人さんも、鉄人児玉さんに近い鉄人です。
僕はまだ、お会いしたことはないのですけど、その文章・着眼点・行動パターン等々、“僕もこうありたい!”と日々思っている方です。。。。。

で、その懐かしい場所というのは“離宮八幡宮”です。
西国街道、山崎にある八幡さんで、油座を独占したことで、日本史でも有名です。
この八幡さん。。。。。

ああ、なつかしい。


昔ね、高校生の時に付き合っていた女の子の家がこの八幡様の近所だったんです。
前にアップしたブラブラ走ったレポート〜3に登場する恵美子ちゃんだす。

何が原因かは覚えてませんが、確か共通の友人が、恵美子ちゃんに何か言うたかなんかで、恵美子ちゃんが泣き出したことがありました。僕はその時その場にいなかったのですけど、今みたいに携帯だのメールだのと言う便利なものはなかった時代ですので、なんでその事を僕が知り得たのか不思議なのですが、僕は高槻市の駅前にある喫茶店で悪友とダメってまして、なんや、恵美ちゃん泣き出したという一方を受けてダッシュで山崎に向かいました。
なんで、どうやって、恵美子ちゃんが大山崎の駅で僕と落ち合えたのかも全くわかりませんが、恵美子ちゃんは大山崎の改札を出たとことの柱の陰で泣いていました。
なんで泣いていたのかも全く覚えてないのですけど、とりあえずなだめすかして、駅から歩いて数分の恵美子ちゃんの家までテクテクと。。。。家に近づくと、再び泣き出す恵美子ちゃん。

なんで泣いてたのかほんまに思い出せませんが、とりあえず、恵美子ちゃんの家はスルー。そのまま歩を進めていきますと、件の“離宮八幡宮”に着いたわけです。
当時僕は、社会の授業で日本史を選択していまして、油座で有名な離宮八幡宮にときめきました。(なんでやねん!)
ぼ〜っと社殿を眺めている僕に辟易したのか怒ったのか、恵美子ちゃんはまたぐずりだしました。

“ああああ!女は面倒くさい!”

なんて思うわけもなく、なだめすかす!

ずっとうつむく恵美子ちゃん、なだめすかす僕。

あっち向く恵美子ちゃん。なだめる僕。

なんなんや!何が気にいらんねや!



。。。。。。今から考えると、かなりいちゃいちゃしていた気がする。。。。



それからというもの、離宮八幡さんは僕らのデートスポット化としてしまいました。
今の高校生のように人目もはばからずベタベタするなんてことはしなかったけど、当時としては充分刺激的な距離感やったなあ。。。。。

ああ、当時の僕にもうちょっと女心がわかっていたならば、いやまあ、“今はわかってるんか?”と聞かれたらそうでもないけど、ハグしていたかも。。。。


くわ〜〜〜!!!超スーパー奥手の僕にもそんな時代があったのだ!






おわり。
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少し前の話ですが、某青垣さんところ(リンクはどうしましょ?)で坂下峠の写真が出ていました。記憶がフラッシュバック!

行ったことあるんだな、僕も。。。。。

で、この間の懐かしい写真が発掘された中にこの時の写真がありました。
ネタがないので、この時のことをチマチマと書いてみました。


あれは、確か1991年、大学6回の時。卒業試験を間近に控え、まわりは右往左往してましたけど、僕はかなりのほほんと過ごしていたように思います。
ある土曜日のこと、バイトが終わって、外に出ると粉雪が舞い、天気予報は雪模様を告げていました。。。

次の日、奈良駅始発の関西本線に乗り込み(当時は奈良始発だったのだ)、柘植駅で輪行を繙きました。
ふと思い返すに、当時はまだキハ120が入線していなかったはず。。。となると、関西本線には何が走っていたのでしょうね?キハ30系やキハ40系の近郊型ではなかったように思います。となるとキハ20系?(ドキドキします)。

加太越でもって東進するが、MTBなのでここは東海自然歩道を経由します。新雪が積もり極上のシングルトラック!がしかし妙にルートが判別しにくい。ありがちなテープもない。。。地図を必死ににらみつつ、“踏み跡が残っているから最悪引き返せばいい”と自分に言い聞かせ、無事、北在家ハンドウ林道に合流しました。今から思うに、別に東海自然歩道を経由したから“よかった〜”ということはないです。。。
この北在家ハンドウ林道は舗装林道だけど車も通らず快適。うねうねと登っていくと、猟犬を連れたハンターの軍団に出会いました。“何処行くんや?”“鈴鹿山脈越えます”みたいな話をしたように思います。“人気のないところ走る時は絶対そのパーカー着とけ!ワシら動いてるもんは反射的に撃つかもしれへんから、着てるもんは派手なほうがええぞ!”蛍光イエローのヘリハンを着ていた僕は、これ以降、いくら暑くなってもヘリハンは脱ぎませんでした!(怖)
ハンドウの集落から少し下ると、R1に突き当たります。ここから旧道に入り旧東海道の宿場町をつないでゆきます。1つ手前の関宿が有名ですけど、沓掛・坂下の町もなかなか昔の面影を残しつつも、観光地化はされていなくていい感じです。
僕は、観光資源として残されているところも好きですけど、現代の生活の雰囲気があるけれども、その風景が昔の面影を醸している場所が好きなんです。昔、某観光地にいった時にたばこ屋のおっちゃんが言ってました。“ここは昔から貧乏で、家直したくても直せなかったから昔のまま残ってしまったんだ。それが、レトロブームか何かで受けたみたいで、今はそれなりに潤ってるけど、今度は今風に直したらダメと言われて困るよ。”と。。。住んでいる人はそれなりに不便なんですね。
そういえば、僕はクラシック自転車好きですけど、チネリスーパーコルサや、デローザネオプリマートみたいなクラシック系のフレームに最新パーツを組み込んだ自転車もこれまた大好きです。
話が飛びました。。。。(話が飛ぶと言えば、藤原先生ですな。。。「小川先生、明日は何処へ行きましょう?」。「はあ?」。。。。何のこっちゃ。。。)
坂下から林道鈴鹿南線に入ります。この時は、入り口話からなくって右往左往しましたわ。取っつきから結構な勾配で、程なくダートになっても急勾配のまま駆け上っていってました。気温は低いが日差しはなかなか強烈で、汗が噴き出て仕方がない。ヘリハン脱ぎたいけど脱げません!誰も踏んでない新雪を踏みしめ切り通しを抜けると、目の前に鈴鹿山脈が姿を見せました。雪化粧の鈴鹿山脈は迫力満点!絶景を愛でつつちょっと早めのお昼ご飯。
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ここから石水渓までのダウンヒルの気持ちいいこと!これぞマウンテンバイク!けど、雪道のダウンヒルはかなり汚れます。。。カンチブレーキのシューは一気になくなってしまいました。
安楽越へはダラダラ登りの舗装路。MTBが最も不得手とする道ですが、きれいな渓谷沿いの道は見る者を飽きさせません。今度は紅葉の季節に来たいなあとか思いつつ登っていきました。渓谷と別れてからは、今度は遥かに見える伊勢平野の眺めを伴侶としてじわじわと高度を上げていきます。程なく頂上に到着しましたが、冬場の峠はどうも寂しくて長居しません。従って、記憶も薄いので困ってしまいます。
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(写真は撮ってたみたい。。。)



下りは一転急勾配のダートで、しかもかなりガレていました。これは自転車をコントロールしているというのだろうか?落ちるにまかせてる?といった感じのライディングが山女原まで続くことになりました。とりあえずノントラブルで下れましたが、よくパンクしなかったものです。
山女原から少し走り、今度は鈴鹿峠の旧道に踏み込みます。工事中の林道を少し走った後、左側の尾根に這いあがり、後はひたすら担ぎになります。“遥か上まで続く階段に眩暈がしそうぢゃ。”
足下に気を付けて登っていくとビンディング用の金具に雪がつまりそれがまた雪を拾い、段々と背が伸びていきます。歩きにくい。。。。。。。足を止めて休めても自転車を降ろすスペースはありません。もうめんどくさいのでひたすらに登ります。階段を登り切ったところがピークだったような気がします。
何もない。。。古の旧鈴鹿峠がこれか?全くもって本当に何にもない場所で、折からの風も影響してかふと先の繁みから山賊が出てきそうな雰囲気に、あわてて先を急ぎました。尾根伝いに鈴鹿トンネルの上まで下ってくると、常夜灯なんかがありました。(写真撮ったような記憶ぁるんやけどなぁ。。。探しても見あたりませんねん)
“そうか。。。特にピークだからといって何かそれっぽい施設を作るという必要性はないんや。。。”
階段で、うねうねと高度を下げて、R1に合流。このまま関まで下れば楽勝なんだけど、この時は何を思ったか途中から坂下峠にアタックしました。
ツーリングマップルによると、“大自然を肌で感じる廃道ルート”らしいです。その廃道ルートはさすがに誰も入った形跡がありません。最初のうちはそんなでもなかったんですけど、段々と積雪が増えていきます。微妙にビビリ入りつつ勾配が急すぎて積雪路面ではブロックタイヤといえど滑って進まなくなってきました。所々雪だまりではラッセル状態?それでも、“あかんかったら下ればいいか”と進みました。道が舗装なのかダートなのかよくわからない状態。新雪の上には、これ何の足跡?というような足跡が点々と続き、なんでもない茂みに消えていくのがはっきりわかります。“獣道の入り口なのね。。。”
地滑りなのか?道の半分ほどが割れた状態の処を恐る恐る越えつつ先に進み、押したり、乗れそうなところは乗ったりを繰り返し、すぐ先に峠の鞍部が見えるころ路面は積雪というより凍結路面になっていました。峠からの吹き下ろしの風が凄まじく、積もった雪も飛ばされてかちんこちんに凍った路面が見えていました。。アイゼンが欲しい!道路脇の斜面を這うようにしてジワジワと進むしかなく、最後は自転車も放り投げるようにして峠に立ったっけ。満足げに来た道を振り返った瞬間、突然の突風に煽られました。危うくまた這い上がらされるところでしたわ。
こんなに苦労して登り付いた坂下峠なんですけど、あまりの寒さにカメラのバッテリーが弱ってしまってうまく動かなかったです。かなり悔しい!
坂下峠の下りはガレたダブルトラックのつづら折れだったように思う。なかなかトリッキーで切り返しが楽しかったっけ。斜面から崩れてきたのであろう岩でガレガレの林道を抜けて、舗装路を少し下ると大原ダム。ほっとして最後のお茶タイムを終えると、我がMTBは両輪ともパンクしてました。。。。調子こいて飛ばしたもんなぁ。。。チューブ交換して大原ダムをあとにする頃、日は西の山に隠れ夕闇が迫っていました。

♪〜あ〜あ〜夕日が落ち〜、山も谷も川も2人も〜。ロマンチックに。。。。
(BGM:抱きしめられてby Short Hears)

甲賀駅まであと一走りでした。



おわり
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“懐かしい写真が出てきたぞ! 〜part 5〜”はミニバイク編最終回です。(やっとかい!)

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ハイレベルなメジャーレースで感じたことは、“どんな状況でもコンスタントにタイム出さんとあかん!”ということです。ベストラインを通ってタイムが出るのは当たり前で、先行車を抜いているその間にライバルが前に行ったとしても差を詰めれるだけの余裕がないと勝負になりません。
ここで、先輩と考えました。

“普段ゆっくり走れるという理由で、平日に練習していたけど、混み混みの日曜日に走らないと練習にならへんのとちゃうか?”

というわけで、わざわざ混んでいる日曜日にみんなで走りに行きました。
混んでいる日はスクータークラスとミッション付きクラスで15分交代です。ミッションクラスは人気があるので滅茶苦茶に混んでます。しかもちゃんと乗れないようなやつも来ていますので、危ないのなんの!けど、そういう状況がレースのシュミレーションになるからと、一生懸命先行車を避けつつもタイムロスを最小限に押さえるのを意識して走っていました。
最終コーナーを回っている途中で、前に3台ほどの遅いグループを発見!遅いなりにバトルしている!一番やばい軍団です。こういうのはみんなが絶対に抜かない場所で一気にパスするのが良い!1コーナーはラインをクロスさせよると危ないのでダメ、2コーナー〜3コーナーもラインが交錯するので危険。3コーナーの立ち上がりで1台抜いて、バックストレートで残りを交わすのが正解!2コーナーの進入スピードをいつもより落として、立ち上がりのラインを少しイン側に、続く3コーナーのクリッピングポイントを置くにとるようにアウトからカットインしたら一気にバイクを起こします。連中はまだアクセル開けてませんので、立ち上がった瞬間にかなりのスピード差になります。グループの最後尾の奴を抜こうと右にバイクを振ります。
“!!!!!!!!!!!!!何いい!!!!!!!!!!!!”
目に飛び込んできたのは何と転倒車!
普段見えない下回りをこっちに向けて。。。
全く止まれる距離じゃない!避けるほどスペースない。。。
僕は、ウイリーで飛び越したろうと後輪に加重かけて、ハンドルをグッと!。。。。。
ま、そんなこと出来るわけもなく、吹っ飛びました。(part 1に出てきたフレーム逝っちゃった事件)
フレームが曲がった拍子にアクセルワイヤーがどこかで引かれたようで、我がバイクは横倒しのまま恐ろしい勢いでホイールが回転していました。どのくらい倒れていたかはわからないですが、先輩に助け起こされましたので、ちょっとの間気絶でもしていたのかな?
何にしても赤旗・救急車騒ぎでございました。。。。

身体の方はというと、右鎖骨骨折、右肘裂傷。即病院送り。。。。
3ヶ月間の療養生活を余儀なくされました。
この時、hawaiibeerさんには一生頭の上がらないようなお世話になりました。
(あの時はほんまにおおきにな!hawaiibeerさん!)

フロントまわりは、キャストホイールも含めてほぼ総換え。フレームを交換して、完全にオーバーレブしたクランクベアリングも交換、当然エンジン完全オーバーホール。
シリンダーも怪しすぎるので交換、ついでやからピストンもピストンリングも交換。中身はほとんど新車状態になってしまいました。


が、この一件で、僕は親から“ミニバイク禁止指令”を出されまして、以降レースに出場することはなかったのです。(泣)
でも、サーキット走行自体は辞められずにこっそりやってました。レースには出ないけど、テクニックだけはどんどん向上していき、タイムも上がってました。
より姿勢を低く、よりアクセルを開けている時間を長く!
ある日、最終コーナーへの切り返し中に路面のギャップをうまく使って向きを変えるという荒技を発見し、これが見事に嵌って、一気に35秒台に突入!さらには、最終コーナーのギャップを使う手前からフルスロットルにしたら、50ccでもドリフトが使えて、ホームストレートに出ていく際のスピードがグンと上がることに気付き、最終的には35秒5まで詰められました。

そうこうしている間に、大学の実習が忙しくなり、5年の後期からは全く休めなくなって、結局そのままショボーンと卒業してしまいました。
その後、ミニバイクには乗ってないけど、この2台のNSRは今でも部室にあるんやろか。。。。。(hawaiibeerさん持って帰ってないよね?)

たまに、自転車で走っている時に、2ストのバイクが加速して抜いていくことがありますが、サイレンサーから吐き出されるカストロールの残り香は、当時の思い出を鮮烈に思い出させてくれます。



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“青春時代”と呼ぶには遅いというか年とりすぎてましたが、ミニバイク1本に捧げ尽くしていた時代でした。


おわり
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2年生になって直ぐの4月。ドキドキしながらクラブのハイエースを運転し、ホームグラウンドのスポーツランド生駒に向かいました。
今回はかなりハイレベルなレースです!
“青芝フック杯スーパーモンキーミニバイク選手権第1戦”
テレビも取材に来る関西ミニバイクレースの中ではかなりメジャーレースです。このシリーズ戦で頭を取った奴は、大抵ノービスデビューして、鈴鹿4時間耐久で好成績を収めて、特別昇格で国際A級への道を進むというサクセスストーリー敷かれていました。そのくらいの実力が要求されるわけです。
いや、ま、僕らはそこまでは望みませんけど、仮にそんななってワークスから声かかってもクールに“いや、僕たちは進む道が決まってますから、これは遊びでやってますから”言うて、断ろうぜえとか言ってました!(カッカッカ!言うのはタダやから!)
ここで我々は“M12スプリント”と“2時間耐久(ペアレース)”にエントリーしてました。
どちらのクラスも予選があります。
スプリントレースの予選は3周のミニレースを2グループにわけて、各グループ上位12台が決勝に進むことが出来るというやつです。
予選のグリッドは抽選。僕は2番グリッドやったか3番グリッドやったかのめちゃんこええポジションを引き当てました。“こら楽勝で予選通過やな”と思っていたのはスタートの日章旗が振られてから第1コーナーまでの5秒間のみ。第1コーナーの突っ込みで左右からガンガンぶつけられ、“ひえ〜〜〜”と思いつつ団子状態で2コーナーへ突っ込んでいきます。“こここ転けるうう〜〜”とか叫びつつクリア!でも2コーナーの出口では既に前に10台くらい居てます。ちょっと考えると直ぐにわかるんですけど、抜き処ってそうそうないので、極端にスピード差がない場合はスタートで半分決まってしまいますわね。。。“自分の進路はこじ開けて作る!”みたいな勢いです。結局、超速い連中は半周くらいで手の届かないところまで離れてしまい、残り11周は半分ツーリングみたいに。。。。一応、予選は通りましたけどね。。。。
先輩も、僕と同じくらいのタイムを出してはったので、予選は楽勝で通るやろうという我々の常識を覆し、スタート直後の2コーナーで転倒!予選落ちでした。。。
耐久の方はどんなやって予選やったのかよく覚えてないです。



練習中にピッカピカのニューカウルで走っていて転けてしまいました。
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おもいっきり削れてしまいました。




スプリントレースの決勝はなんというかもう、カルチャーショック以外の何者でもなかったです。今まで井の中の蛙やったんやと。。。トップ連中はあり得ないスピードでひょいひょいラインをクロスさせつつ走っていきよります。あんなラインで走ったら嫌々ながらもアクセル戻さんと曲がられへんやん!結局、10位くらいでレースも何もせずにゴールしました。。。単に、10周走っただけでした。
耐久レースはというと、前回の失敗の教訓から、スタートする役かゴールする役か!ピットインは1回のみ。という作戦でしたので、前々から1時間しっかり走れるように練習してたんだもんねえ!
決勝レース。チーム伸介も全盛期でしてピットが隣でした!現なにわ突撃隊隊長の長原成樹も走っとりました。遅かったけど。。。。
このレース、結果がわからないほど悲惨な結果でした。そしてもう一つわかったこと、“先輩は本番に滅茶苦茶に弱い!”いつものラップの2秒落ち。ペースアップのサイン出したらこくりと頷き、次のコーナーで転倒。。。。。先輩が“換わってくれ”と緊急ピットイン。。。いがんでいるカウルだけまっすぐにして、ブレーキが利くのを確認してピットアウト!ピットレーン走ってる時に変な感じはしたんですけど。。。1コーナーを抜けて、第2コーナーの入り口でブレーキングして1速落とします。軽くアクセルあおって。。。
“ええっっっ!!!アクセル戻らへんし!!”
バイクはスロットルに砂が噛んじゃって、スロットルが戻らなくなっていました。
“交代する時言えよ、先輩!”
まあ、“勝ったろう”とか、“目立ってテレビに映ったろう”とかいうことは考えてもいなかったので、別にいいんですけどね。。。。
この後も、先輩転倒数回。。。僕も1回。。。
もう、まともにはゴール出来ないので、同じくらいのレベルで速そうな奴見つけてはバトルを仕掛けるという、迷惑な遊び状態で、レース終了。

レース終了後、ご機嫌ななめでイジイジ片づける僕らに、隣のピットのチーム伸介のライダーが歩み寄ってきました。
“2人、何秒くらいのタイムなの?”と。。。。
“36秒前半です。”と答えると。。。
“お!ちょうどいいじゃん!”と。。。何がやねん?
“今年の新東京サーキットのシリーズ戦と、伸介杯ミニバイクレース、僕のペアで走ってもらえませんか?”。。。。。
“は?なんの話ですの?”
“いや、ですから、ツナギやなんかは全部スポンサーの南海部品から供出しますので、身一つで新東京サーキットまで来てもらったらいいんです。もちろん交通費も支給します”
なんと、チーム伸介からスカウトだす!
がしか〜し!僕たちには大きな問題があったのです。。。。 
“すんません。。。。そのレースって、日曜日ですか?”
“え?シリーズ戦は日曜日ですけど、伸介杯は平日です。。。。”
“すんません。平日は絶対にあきません。大学の実習休めないんです。”
“え?伸介杯がメインなのに!テレビも写るし。。。”
“行きたいのは山々なんですけど、休んだ瞬間に留年しますねん。。。”
“そうですか。。。。”
“そうなんです。もうしわけないですけど。。。。”
と、スカウトを蹴ってしまいました!

今から考えたら、ちょっとくらい実習休んでも大丈夫やったんちゃうかなあ。。。。
あの時、行ってたら、伸介杯で芸能人と知り合いになり、何かの拍子で“こいつ使えるなあ”という話になって、あれよあれよという間にメジャーになって、気が付けば小川先生役のオファーが来て、
“お前が大和杯獲るって言ったんだろ!”なんて言う台詞を叫んでいたやもしれん!
惜しいことをしました。。。。。



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なかなかのデザインやと思うんですけど。。。。まあまあカッコええと思いません?
ちなみに、このカラーリングでレース走ってないのです。。。。(悲)



最終回へとつづく。
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ミニバイクレース編、part 3だす。


1年生も8月になり、3ヶ月の練習で、僕も先輩も生駒では36秒前半をコンスタントに出せるようになっていました。

僕ら1年生のデビューレースにちょうど良いだろうということで、夏休みに開催されました、“すみれ21カップミニバイク耐久レース”にエントリーしました。そないにハイレベルなレースではありませんが、“死んでも、主催者に責任追及しません”みたいな誓約書を書かされたりしながら気分も盛り上がり、僕は先輩と2人、完全本気モードでした。もう、気分はワインガードナーだす!
ルマン式でスタートして、他のライダーを抜くことはあってもあまり抜かれもせずに走ってたんですけど、うっとこは15分おきにピットインしてライダー交代してたんですね。1時間近く経った時、マネージャーが興奮して走ってきました。

マ:“今6位やって!”
一同:“なに〜〜〜っっ!!”
   そんな良いポジションで走ってるとはつゆ知らず。。。
マ:“けど、他のチームまだ1回しかピットインしてないよ!”
一同:“ななななに〜〜〜っっ!!”

ここで、僕らははたと気付いたのです、“耐久レースは最低30分は走り続けなければならない”ということを。。。15分おきにピットインなんて単なるタイムロス!(当たり前です!)
ここから、我がチームの怒濤の追い上げが始まりました。残り1時間なので、30分は走るということで。。。。。まあ、頑張りました。ライン外そうがアクセルは緩めません!抜く抜く。。。30分も連続して走ったことないからヘトヘトでピットインだす。先輩にゴールを任せてへたっていると、“バオ〜ン”という、どこかで聞いたような音が。。。。コントロールタワーでは黒旗が振られていまして、“ああ!!降られてるの先輩やんか!!”ああ、サイレンサーもげてるし。。。。。もう、最悪。。。。
5位走行中のリタイヤ劇でした。。。。
でも、楽しかったです。

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つづく(マジで、まだつづくんかい)。
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ミニバイクレースの話。。。。

そういえば、ミッション付きの原付に乗ったのは大学に入ってミニバイクレースを始めてからでした。。。それまではパッソルDしか乗ったことなかった。。。
普段乗っていた車がマニュアルだったので、クラッチ操作とかは苦にならなかったし、エンジンが2ストなので、トルクもあったのでエンストとかはしなかったっす。。。。
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22番車はナンバープレートのベースも付いてます。ここに、走行券を貼るのです。ヘルメットは自分で塗りました。バイクのデザインはhawaiibeerさんが基本デザインを考えて、僕が塗って、僕が今勤めているオフィスのネームを入れてます。“SHOEI”と“HONDA”と“RK”だけ市販のシールです。あとのステッカーはほぼすべて自作。


当時、クラブの所有していた50ccバイクはホンダMBX50、スズキΓ50。Γ50はエンジンが掛からなかったし、MBX50はタイヤつるつる、タコメータ無し、リアブレーキ無しだった。それでも、走れるのはこれしかなかったので、入部した次の週に2年先輩にサーキットに連れて行ってもらった。。。まずはコースイン。一番戸惑ったのはコースの端から端までを使えるという事実!右コーナーは別として、左コーナーの立ち上がりでしっかり右まではらもうとすると信じられないスピードが出てしまう。段々とスピードに慣れてきて、次のコーナーまでの感覚が近くなっていく。ブレーキングもかなりハードになってきて“ボチボチやばいな。。。”と思った頃、1台のΓに抜かれて(道を譲った)後ろについて、テクニックを学ぼうと。。。意外についていけるのですなこれが。。。調子こいて着いて行ってたらブレーキロックさせてしまいました。
先輩は件のNSR(ちなみにNSRの所有者はまた別の先輩)に颯爽と乗っていたっけ。。。パドックでちょっとだけ乗らせてもらったけど、MBXとNSRは基本的に同じエンジンでスペックも同じなのに、シフトアップした時のピックアップが段違いだった。
それから1か月、名阪スポーツランドで耐久レースにエントリーしているということで、新入生も行くことになった。この時初めてNSRの所有者の先輩にお会いした。先輩いうてももう卒業されてだいぶん経つ方で、授業を受け持っておられて、その関係で正式なクラブ員ではないけど一緒に活動しているという、顧問の先生達管理者からするととてもはた迷惑な立場だった。この所有者の先輩がまたたった500mくらいのコースを2周ほど走っただけで“ああ、疲れた!”言うて帰って来はるわけで、そのうち“お前走れ!”と僕を指さして。。。。“ええ?そんな、僕エントリーしてません”と答えると“そんなもんヘルメット被ったらわからへんやんけ!”と。。。。何とかかんとか固持して走るのは許してもらいました。で、その後に僕の初走行時のタイムを聞いて、“お前もNSR乗ってええぞ”と。。。。よっしゃ!

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(ここまで来ると転ける心配なし!あとは最終コーナーの立ち上がりにすべてを賭けてアクセル全開!このアクセルを全開にするポイントにタイムアップの秘密があったのだ!)


それからは、もう一人の先輩とガンガンタイム上げていきましたね。
気が付けば、練習ではほぼ負け無し状態になっていました。。。
そうして、とうとう、メジャーレースにエントリーすることになったのです。。。。

つづく。。。(まだつづくんかい!)
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こないだ、実家から、懐かしい写真が発掘されてしまいました。

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大学生の時、僕は一時的に自転車趣味を離れ、ミニバイクレースに夢中になってました。
このNSRは、大学のクラブのものかというと、、、、違います。
1台は先輩の私物。もう1台はなんとhawaiibeerさんの私物。。。

ゼッケン3番が先輩ので、ゼッケン21がhawaiiさんのです。
3号車はカウルがアルファレーシングのFRP製のものに変わってます。大した違いはないんですけど、シートカウルが一体成形だったり、ウインカー、ミラー、テールランプユニットなどの保安部品は付けられない設計だったので、それなりにかっこよかったです。タイヤは、多分ダンロップのGT60Sとかいうやつやったと思います。ドライでは偉いグリップしますが、ウェットでは最悪でした。
21号車は、カウルもノーマルです。保安部品だけ危ないので取り去ってます。タイヤはブリジストンのBT20S。これもようグリップしましたが、GT60の絶対的グリップには程遠かったです。。。でも、ウェットは断然こっちです。
実は、この2台は88年モデルでしたが、先輩所有分のNSRでスポーツランド生駒の第3コーナー先で転けてるバイクに突っ込み、フロントキャストホイールを割って、フォークは当然へしおれて、フレームまでも逝ってしまうという何とも高く着く転け方をしてしまいました。フレームを交換することになったわけですが、ここで何も考えずに注文したら89年モデルが納品されました。。。。
88モデルと89モデルの最大に違いはというと、サイレンサーにありました。
88モデルはチャンバーからスイングアームに沿って、普通にサイレンサーが着きます。この位置が問題で、右に転けると間違いなくサイレンサーは曲がってしまってスイングアームに当たるようになってしまいます。それでも気にせず乗っていると、スイングアームが動くたんびにサイレンサーが“ゴリッゴリッ”と。。。さらに、ミニバイクに乗るには長すぎる僕の足が問題で、膝がタンクのへこみ部分にうまくフィットしませんでフィットするように乗ると、コーナーリング中に外足を踏ん張る時に、このサイレンサーを踏みつけてしまいます。いったんひん曲がっている上にスイングアームが動くたびにゴリゴリされ、左コーナーの度に思いっきり踏みつけられるサイレンサー。。。。。数時間で、“バオ〜ン!”という轟音と共にサイレンサーが脱落し、黒旗を振られることになるわけです。チャンバーを何度換えたことか。。。
一方、89モデルはチャンバーからさらにパイプを上に延ばし、サイレンサーはシートレール近くに溶接されたブラケットにネジ止めされるようになりました。これで格段にサイレンサーの破損が減りました。
ちなみに、21番車のフレームは88モデルですので、シートレールにブラケットを無理くり付けていました。それでも、折れるよりはまし!






女房(当時彼女)が取った僕の写真その1
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これは、バックストレーと後のS字入り口ですな。。。。ノーブレーキで左にカットインして、切り返しながらフルブレーキングして、めちゃんこビビリ入るところです。





また、懐かしい写真をチマチマとスキャンして、ネタのない時にアップしようっと。。。

。。。“ネタのない時”。。。。すぐ使い切ってしまいそうじゃ。。。
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8日目
件のお兄さま方お姉さま方たちと一緒に遊んだと思います。行った場所は全く覚えていませんが、坊ちゃん列車を捜し求めたような記憶があります。写真あったんですけど、何処いったんだろ。。。皆さんこの日の昼頃に各々帰られましたが、一人だけ連泊するとのことでした。先に帰る3人を松山駅まで見送りに行って、残った僕ともう一人で去りゆく列車を追いかけましたわ。気動車なので加速も鈍くて窓も開くので、帰っていく人たちは見えなくなるまで手を振ってました。中坊のチェリーボーイの僕でしたけど、もう多分一生会うことはないだろうと、すごくセンチになったのを覚えています。
残された僕らですが、本当は僕もこの日に帰る予定だったのですが、もう一人の方“1週間も自転車乗っているんだから、たまには普通に遊ぼう”と誘われ、僕も連泊することにしました。ところが、高知で買い物したためにお金が結構無くなっていて、ちょっと不安やったんですね。郵便局に振り込んでもらおうと家に電話してみますと、お守りの中に1万円隠してあるとのこと。さすがおかん!やることがニクイわ!

9日目
申し訳ないですが、全く記憶していないのです。一緒に遊んだ方と、姫路くらいまで一緒だったのはうすうす覚えているんです。その方が大阪大学だったということも。。。2人とも周遊券で来ていたので、特急に乗れず急行で帰ったことも。。。けど、観光でどこ行ったかは、全く記憶にないです。
何にしても、おかん曰くこのツーリングで僕の性格が180゜変わったそうである。本人は全然気付いていなかったのだが、それまではどちらかというと内向的な大人しい子供だったそうなのですが、このツーリングから帰ってくると、完全に外向型になっていたらしく、子育てとして、思い切って行かせて良かったと、事あるごとに言いますです。そんなに暗い奴やったかなあ。。。。僕ってば。。。。

エピローグ
僕の中学生最後の想い出のツーリング記はこれで終わりです。
何で、こんなツーリング記を書き始めたのかと言いますと、実家で当時のネガを見つけたというのもありますが、それだけではないんです。
この間、うちの親父とおかんが遊びに来てましてん。実家は車で20分くらいの所ですので、帰りに車で送っていったんですけど、その時に親父が“お前に送ってもらうようになってしもたか。お前が四国行った時は、心配で迎えに行く時は妙な気分やったわ”と話し出しよりました。フラッシュバックというんでしょうか?その時のことが思い出されました。そういえば、行きは最寄りの駅まで走っていって輪行したんですが、帰りは親父が来るまで迎えに来てくれたのでした。僕は、そんなん別に走って帰ると言ったのですが、絶対に迎えに行くから駅で待ってろ!と。。。
親になった今、その気持ちがすごく解る気がします。
一方、おかんも凄い!ツーリング記の中には書いてませんでしたが、このツーリングに行かせてやるという条件の中に、“一人で行くこと”というのがあったんです。友人達と行くのなら行かせないということです。これも凄いと思います。おかんの厳しさと優しさを今になって改めて感じました。
今の僕には自分の子供が中学生になる頃に一人旅に出す勇気も自信もありません。子供達が中学を卒業するまでに一人旅をさせても大丈夫というように育てたい!親父やおかんのように育てたい!

と、まあ、自分に叱咤激励の意味もあって、ね。。。。
こうやって残しといたら、もう、後に引けんでしょうから。。。

数日間、楽しみに(?)読んでもろうておおきにでした。
これで、懐かしい僕の青春のツーリング記を終わりたいと思います。
おおきにでした。
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6日目
この日は、ちょっと長距離を走りましたのです。足摺岬から海沿いに宇和島まで125km。足摺岬のYHで同室だった方に“見残しは見残すな!”といわれ、竜串でグラスボートに乗ったりしつつも、えっちらおっちら宇和島を目指しました。基本的に海沿いとはいえ、野を越え山を越え、宇和島を見下ろす松尾峠の頂上に着いた時、日は沈みつつありました。休んでいると、畑帰りのおばちゃんが“ざぼん”という、大きいみかんを3つもくれはりまして、そんなもん3つもザックやフロントバックにも入るわけなく、捨てるのも悪いし、その場で必死で食べました。宿泊地の宇和島YHは町を見下ろす高台の上にあり、この日一番しんどかったのはこの坂道でした。着いたらやはり夕食は始まっていて、必死で食べましたが、ついさっきざぼん食べてるからこれもまたきつかったです。

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(どこなのかさっぱり判りません。。。。m(__)m)


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(竜串海中公園のグラスボートから撮った写真。。。何の魚かさっぱり判りません。。。)



7日目
宇和島のYHで、前日の白皇神社YHで一緒になった大学生のお兄さま方お姉さま方と再会しました。実は僕は全く記憶になく、再会したふりをしていました。白皇神社YHに限らず、中学生が一人で自転車で旅をしてるんだから昔といえど結構目立ったようで、中村のYHではハーレム状態だった話はしましたが、他のYHでもそれはそれは可愛がってもらったのです。なので他のホステラーには記憶に残る存在だったようで、それはそれでいいんだけど。。。実はこの再会した方たちというのが、この日の宿も同じ松山の神泉園YHだったもんで、誘われて宇和島観光&松山観光。宇和島〜松山輪行してしまいました(恥・軟弱)。
松山市内の移動は、皆さんは市電。僕は自転車で走る!結構余裕でした。大学生の皆様はいきなり凹凸神社なる18禁の神社に入って行かれましたが、チェリーな僕は頑なに入館を拒否!みんなに感動されてしまいました!ちなみにこの日、生まれて初めて不二家以外の喫茶店というものに入ってドキドキしました。初めての本格コーヒーはにがかったっす。。。う〜ん。。。信じられないチェリーボーイでしたわ。
そうそう、この日の夜、その大学生のお兄さま方、お姉さま方に誘われて道後温泉に行きましてん。道後温泉って、2〜3階は確か当時は(今も?)混浴やったらしいんですけど、お茶とかお菓子が付いていて、僕は「せっかく来たんだから」と2階へ行こうと主張しましたんです。しかし、大学生のお兄さま、お姉さまは断固拒否!そのあまりの拒否ぶりに逆らえず、渋々1階の銭湯に入りました。そこで、お兄さま方に「混浴に女の子誘うとはなかなか見所がある」と言われ、風呂を出た後で、お姉さま方に「知らんかったんですう〜」と平謝りしたような記憶がおます。

伊予の国、道後の夜は更けていくのでした。。。zzzzzz
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5日目
この日のコースは海沿いに足摺岬まで。。。今だったら、間違いなく山岳コースを選んでいるだろうと思うが、なんとも軟弱な行程である。例の女子大サイクリング部も同じ方向に走っていて、登りで追い越し、下りや写真撮影中に抜かれのくり返し。一緒に走りゃあいいのに!まったくもってチェリーやったです。。。

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(信じられないことに、自転車が写っているのはこの1枚だけ!!)


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(しっかりと大きな道を走ったつもりだったんですけど。。。道狭い!)



休憩もしないで走ったもんだから、足摺岬にはすぐに着いてしまって、レストランで昼食を食べた後、何してたんだろ。。。。記憶にないです。写真の中にはこんなもんも写ってましたので、多分その辺うろうろしていたんだろうとは思いますが、。。。。。
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(多分間違いなく、足摺岬の灯台でしょう)


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(この看板にはちょっとショックでした)


女子大とはどこで別れたんだろ?覚えていないということは、みんなあまりかわいくなかったということか?
この夜のYHは全国に名高い○○○○(今は放送禁止用語なので。。。)・ユース、白皇神社YH。そんなに滅茶苦茶だったような記憶もないのですが、罰ゲームは結構恥ずかしかったかな、というか、勢いあまって窓の外に転落したっけか。。。今もあるのかなあ、ここのヘルパーのお兄さんには滅茶苦茶にかわいがってもらったんだけどなあ。。。。。。

出血大サービス!
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