2017年 08月 31日
晩夏の野迫川探検!〜山上の集落から脱出せよ!
「今度の日曜日、探検に出るから、朝8:30に野迫川集合な!」
野迫川探検隊の隊長から、指令が来ました。
前の晩は、所用で遅くなり、帰宅したのは午前1:30。。。。。
ダッシュで風呂入って、何時に寝たのかは覚えてないけど、5時起床。。。。。
目ぇが開きませんねんけど。。。。。(笑)
なんとか、お風呂セットと、探検に持っていくものを準備して車に積み込む。
探検なので、走破性のよい軽い自転車を。。。。。
BSネオコットMTBよ、出番じゃ!!!
準備が終わる頃には、やっと目が開いてきて、爆撃も完了しました。(要らん情報?)
京奈和道が御所のところで繋がったので、えらい早いこといけるようになりました。
うちから2時間かからないのでは?
かなり早く着きそうな案配だったので、途中の景色をば。。。。。。

めっちゃ天気よくて、最高じゃん!

集合場所とうちゃこ。。。。

気温は20℃。この直前まで19℃でした。。。。。ここまでエアコンオフ!!!!

今回の探検は、最近つとに野迫川♡なUGの兄♭♭♭隊長のお誘いでした。
野迫川と言うところはそれはそれは魅力に溢れた村です。
何故かというと、、、、、
何しか遠いので、非日常感満点!
どこからアクセスしても外部の者を拒絶するかのように道が狭い!!
その各集落は広範囲に点在していて、車で30分走ってやっと次の集落につく感じ!!!
各集落には廃校が結構残ってたりする!!!!
さらには、山道を何キロも進んで到達する集落が行き止まりという、限界集落もある!!!!!
そんな野迫川村ですが、実際に何度か行くうちに、不思議なことに気付きました。
「野迫川の生活圏は2つ存在するんでないか?」
通常、山奥とかの一つの自治区なるもの、生活圏は一つになるはずです。だって、その為の自治区なのですから。しかしながら、野迫川村は一部は奈良県の生活圏。もう一つは和歌山県高野山にその生活圏をゆだねる集落があるみたい。。。。。
要は、奈良県からはかなり到達しにくく、逆に高野山からの方がはるかに到達しやすいエリアがあるのだ。。。。。
なかなかややこしいやんけ!!!
けど、別にそんなにおかしいことでもないか。。。。今は結構そういう村多いかも。。。。。
だけどもだ!そもそも自治区を一個作る段において、生活圏の異なるエリアを一緒くたにするのは絶対におかしいと思うのです。それやったら、自治区分けるのとちゃう?
で、ちょっと野迫川についてお勉強。
野迫川村は奈良県吉野郡です。
1889年に今井・平川・柞原・中・上・池津川・紫園・中津川・立里・北股・檜木股・北今西・弓手原・平の14の区域をもって発足したようです。(Wikiより)
ははあ~~~ん。。。なるほど。今は大塔村から入っていく道があるけど、昔はこっちはなかったんや。。。。。高野山方面から入ってくる道しか無かったのか。。。。。(じゃあ、なんで、奈良県吉野郡?)
後年、大塔村の阪本から入っていく道が出来てしまったので、生活圏がこちらに移動した集落がいくつか出来たわけですな。
上記の14の字のうち、今井・平川・柞原・中・上・の5つの字は中原川沿いの集落でこれらの地区は奈良県の生活圏と言ってもいいと思います。ア実際、郵便物の集配もこの5つの区域は、隣の大塔村の辻堂郵便局担当。(調べたった!!)
けど、スーパーとかはどうなんだろう?五条と橋本どっちが近いんだろう?
まあ、その辺は置いといて、それ以外の字も、ツーリーングで通ったことのあるのは池津川に北俣、平(集落自体には行ったことない)、北今西、桧股(檜木股)、弓手原、。残りの紫園と中津川と立里には行ったことが無い。。。。。紫園なんか、初めて見た字だったりする。。。。
地図を眺めてみると、ちょい不思議なことに気付きました。
その不思議な事とは、、、、、
なんで、こんな所に家がある?
中津川さんと、立里さん、あなたたちのことだよ!!!
あんたら、完全に行き止まりの集落やん?
気になりすぎますやん!
中津川の場合、県道から3キロほど進んだところにありますけど、その先は何もない。。。。。
わざわざ行く?いや、行かない。。。
立里の場合、県道から5キロほど上って、そこからさらに5キロほど下る。標高差は500mだぁ~~!!
わざわざ行く?いや、行かない。。。
調べてみた。。。。。いや基、ググってみた。。。。。。
以下のことがおぼろげながらわかってきた。。。。。
立里や中津川は鉱山のための集落。現在の車道は上垣内から立里荒神を経て昭和52年に開通した林道上垣内立里線。それまでは、北俣~立里~中津川~紫園~池津川~上垣内という経路の杣道のみ。人馬しか通行出来ないような道だったようです。余所の記事を転載するの拙いので出展だけを。。。。野迫川村史六十七頁。(笑)
ぐおおおおお~~~~~~!!!!!
書いてしもうた!!!
史上最強の,プロローグかもしれん!!!!!(爆)
長い!長すぎる!(爆)
まあ、そんな野迫川の立里集落や中津川集落。気になるので、何とか行けないかと地図を眺めていると、立里の奥は古道が通っているわけで、これを踏破したろうという魂胆です。
しかし、事前の調査で、立里から中津川への古道はすでに廃道みたいになっているようで、池津川を渡る吊り橋は朽ち果てているという。と、地図には別ルートでもって川原樋川林道に抜ける道があります。今回の探検の主目的は、立里の先のこの点線道を川原樋川に抜けようというものです。これが行けたら、まあまあ面白いコースも作れちゃうんじゃないの?
ほんでもって、川原樋川に抜けたあとは、池津川沿いにスタート地点まで戻る事になるわけですが、その途中から中津川の集落も行ってみようという。。。。
行程は25km程ですけど、その獲得標高たるや、1000mを越えるという。。。。

まずは、立里荒神に向かいます。
目の前の激坂を登っていくのです。。。。。ちなみに、この写真を撮っている道は平坦ではありません。下り勾配の途中ですからね。。。。そっからみてのこの登りですから,笑ってしまいます。
ええと。。。。ルートラボで計ってみると。。。。。。初っ端は元池津川トンネルの切り通しをオーバークロスするために10%勾配で上って、切り通しを渡ったら容赦なく30%近い勾配で上って行きます。インナーロー22x32のMTBはフロント浮きまくりです。2~300メートルで勾配は落ち着きますけど、それでも10%前後。。。。。荒神社まで上って行きます。
登り始めてすぐに林道の開通記念碑が有ります。
野迫川には林道がたくさんありますけど、開通記念碑が必ず建っている気がします。
他にも、タイノ原林道や平川釜落林道へ行った時もあった気がしますというかありました。

しかし、開通は昭和52年とあるけど、それ以前は荒神さんへはどうやって行ってたのだ?
綺麗な苔を背景に。。。。。

不用意なペダリングをすると、簡単にウイリーするような激坂をえっちらおっちら上って行きます。もう、全身汗だくですし!

5キロほど上って、立里荒神社に着きます。
日本三大荒神の一つ、立里荒神は野迫川村で最も人が集まるところだと言われているようですが、頷けます。(笑)
せっかくなので、お参りしましたが、たくさんの人がお参りされていました。




「ようおまいり」
ご神木が屋根を貫通するという。。。。。あと1メートル後に社殿を建てれなかったのでしょうか?

しかし、良い眺めです。本当にここで雲海見れたら素敵だろうなあ。
大黒屋さんは、朝焼けにかすむ雲海を見たという!

稜線上のめちゃくちゃに気持ちいい道を行きます。



荒神社から先は車もあまり通りません。
道は、意外にというとあれですけど綺麗です。と言うても、落石もあるし、苔むしてるところもあります。そうかあ。。。極端に通行量が少ないもんなあ。。。道は使ってなんぼと言うことが実感出来ます。
途中に、雲の上温泉の開雲荘がありましたが、今は廃墟になってしまってます。
ここでお風呂入りたかったなあ。。。。。。

林間のきれいな道を下ります。まあまあ激坂ですけど、グングングングン下ります。



金剛峯寺の土地なんだ!
これもググってみると、吉野の金峯山寺と一悶着あったようで、そら、ここらあたりは高野山の生活圏ですけど、住所的には吉野郡だから。。。。。
途中、谷が開けて下界が見えました。川原樋川と池津川の出合いの赤い鉄橋も見えます。あそこにたどり着けるのだろうか。。。。。。


“税金もっちゃいにゃいお!!!”

荒神社から500m近く標高を下げると、立里に着きます。
この日は陽光眩しく、素晴らしい集落に見えました、

数軒の廃屋と、廃校になった小学校、それと、この集落の住民のおばあちゃんとそのご子息が住む家があるだけです。

小学校には、興味深い物がありましたよ。
学校の歴史

この學校の出来るまで
名高い荒神嶽の麓ここ立里の部落に始めて(初めて?)學校が建てられたのは明治十七年で本部落の五十九番地に設置し十八坪の校舎と四十坪の運動場それに七坪の職員住宅が附随されていた
顧みれば六十有餘年の古い歴史と傳統に輝き過去に於ける部落の文化はすべてこの校舎から生み出されていたのであった
想えば長い歴史であったが計らずも昭和二十八年七月十八日の風水害のために大きな被害をうけ毎日の授業にも支障をきたした
そこで当時の學校長上地義雄氏は児童に非教育的な悪影響を及ぼすことを歎かれ専心學区民の協力を得るとともに村当局の主裁のもとに本校建築に着手したのである
本校建築に際しての部落民の態度は誠に涙ぐましいものがあり一軒の家から出る奉仕は賃金無しで五十日以上の日数であった
ヘキ地の悲しさはどうすることも出来ず材木その他すべて材料の運搬は人夫の肩を使っての仕事であった
昭和二十八年八月に着手昭和二十九年三月設立 校舎四十四坪 住宅10.5坪 ここに五月十二日を以って無事落成式を擧げることの出来たのは左記に掲げる施行者並に學区民関係者各位の絶大なる御支援の賜であると深く感謝の意を表すと共に将来に傳わる歴史の一頁とならんことを願って記す
記
文部大臣 大達茂雄
奈良県知事 奥田良二
奈良県教育長 足立 浩
内吉野地方事務局長 徳田 昶
野迫川村長 高田傳太郎
野迫川教育長 中西九仁男
立里区建築委員 福尾数馬
平尾義正
池田治良
中岡卯三郎
井口隆夫
尾崎義文
建築委員長 立里区区長 福尾鷹一
立里育友会長 平尾幸三
立里學務委員 辻田義次
立里青年会長 堀玉三郎
現場係 挧山義次
大工棟梁 櫻井義秋
学校長 上地義雄
昭和二十九年五月十二日
立里小学校長 中澤 保 記

ちょっと綺麗にしたら、そのまま使えそうなくらいです。
廊下に貼り出されたままの絵、タッチが似ているなあと思ったら、これらの絵は2人の子供が描いたものでした。そうか。。。生徒数は二人だったのか。しかも名字が同じで、おそらく兄弟。。。。。なんか悲しい。。。。
さて、ここからや!
ここからが、今日のメインイベントや!
ミッション1
「川原樋川へのルートを踏破せよ!」
ここまでもまあまあヒイヒイ言わされましたけど、川原樋川への道はどこやねん?
ofはやまさんの2万5千図にヒントがありました。僕の5万図だけ出たらわかんなかったかも!
なんとかかんとか道筋を発見しました。
ここで、ちょっと書いときますけど、実は、我らが北山のマドンナ大黒屋さんは、ついこないだ単身ここを訪れ、川原樋川への道を完全踏破したとのこと。
ありえへん!!!!
まずもって入り口よう見つけましたな!!!!!僕らでも変なところからアプローチしてやっと到達したのに!
まあいい。。。。
入り口にある索道の残骸。この索道、延々五條まで繋がっていたらしい。。。。。

ここからは、シングルトラックが続きますけど、集落を外れて森の中に入っても、しばらくは石垣のある平場がたくさんあって、往時を偲ぶことが出来ます。

立里には鉱山があって、その為に出来た集落だったようです。僕らが荒神社から下って来た道は一部元々存在しておらず、開通したのは前述の通り昭和52年。それまでは、池津川からの歩道がこの集落へのアクセス道だったようです。まさに今我々は進が行く道こそが生活道だったのです。
ほんまかいな!!!凄すぎる!!!!!
この古道、池津川沿いに通る県道734号を横切るように中津川へ続いていたということでですが、現在は池津川を渡る吊り橋が朽ち果てていて、廃道一直線です。川原樋川への道は、途中から右に分岐していましたが、MTBでぶっ飛んでいった僕は分岐をあっさり見逃して、えらい下まで下ってしまいました。電柱が立っているので、間違いないと思ってましたが、UGの兄♭♭♭隊長とofはやま隊員が全然下りてこられないので不安になり、徒歩で戻ってみたところ、ミスコースに気付かされたのでした。

すでに、かなり下っちゃってます(笑)。
無事、自転車も押し上げて、みんなと合流。
分岐でお昼ご飯にしました。
さあ、もう、間違うところはないじょ~~~!!!!
鼻の穴満開で下ります。道は、尾根伝いに、ダイナミックにつづら折れ!
左コーナーはジャックナイフターンで、右コーナーが苦手な僕は右コーナーは“おっとっとっと!!!”って感じでターンします。

こんな空き缶でも、このシチュエーションで人工物を発見すると、なんかホッとします。


川の音が聞こえ出すと、川原樋川林道は近い!

と、道がなくなった!!!!!すぐ下にはもう川原樋川林道が見えているけど、この場所は、林道の法面の上5m。
下りる場所はない。。。。。。。
途方に暮れます。。。。。。(嘘)
ここでのルートは事前に大黒屋さんに教えてもらってました。
「道がなくなったら、左方向を探索すべし!!」
と!!!!
半分朽ちた木梯子を見つけ、林道へのルートを確認。
自転車はピストンで下ろし、無事林道に降り立つ!

改めまして、
大黒屋さん、あなた凄すぎます!!!!
立里荒神の宿坊に泊まるという荒技から、早朝の雲海を眺め、そこから500mも下った立里集落に自転車を置いて、徒歩でここまで来られたとは!!!
その後、また、来た道戻ったんですよね?
普通、嫌すぎますで!!!(笑)
少し走れば、さっき上から俯瞰していた赤い鉄橋です。

第一のミッション、コンプリート!
次なるミッションへ向かう途中で、例の吊り橋があります。


言われてみたら、なるほど、“あるやん!”って感じですけど、なんべんもここ通ってるのに、気付かなかった!!!
っていうか、あのままミスコースに気付かずここまで来ていたら、完全に途方に暮れるところだった!!
この吊り橋を渡ってきた古道は県道を横切って、中津川に向かって山肌を這い上がって行ってるはずなんだけど、全くわからず。ありがちなテープも何も見当たりませんでした。
さて、第2のミッションは、
「未成道路の状況を確認せよ!」
荒神社から林道を走ってきて、立里に着くほんの数百メートル前、左に林道が分岐していました。下からの林道と繋がることなく放置されてますが、その下の林道というやつを行ったろうと。。。。



立派です!たぶん今日走ってきた道の中で一番道幅が広い!(笑)
けど、ダート。(笑)

本当は行き止まりまで行きたかったのですが、探検隊は3人とも、まあまあ疲れ気味。僕的には、荒神社での徒歩往復と、古道最終地点での探索がまあまあ足に来てました。普段使わない部分が異様にだるいぞ!!!!
隊員の意見は一致し、次なるミッションへ向かうことになりました。
残念ながら、第2のミッションはコンプリートせずです。
第3のミッションは、
「廃村中津川を捜索せよ!」
中津川への林道は金屋渕という地名が残る場所から分岐します。いきなりの激坂にヒイヒイいいますが、MTBよりハイギアードなパスハンの両隊員に弱音を吐くわけにはいきません。。。

フロントをポンポン浮かせながら進むこと1km。お地蔵様が祀られていました。

誰も住んでないはずなのに、新しい樒の葉のお供え。ちゃんとわざわざお参りしてはるんやと、まあまあ感動しました。
左手に神社が見えたら中津川に到着です。

中津川に入って一番最初の建物が小学校跡です。




立里小学校に比べると、かなり荒れていました。
中津川小学校は明治20年開咬、昭和44年休校、平成9年閉校らしいことが、ネットを見ていてわかりました。。。。。
平成の時代でもまだ休校で、けっして閉校扱いでは無かった事実に愕然とします。
あたりには、廃屋以外無く、立里に比べて影の強い集落です。


地図では、奥には何も見当たらず、点線の道が続くだけです。(実は、この道が非常に気になる!!!あとで書きます)
限界集落って言いましたが、古来、行き止まりということはあまりなくて、ここ中津川も、実は途中の集落と言えないこともないのです。
古道は、朽ちた吊り橋の所から山肌を這い上がってきます。中津川の集落からは僕らが上ってきた道を下って、池津川の集落に向かっていたようで、途中に紫園という集落があったようです。
中津川捜索終了!
ミッションコンプリート! ではない!(僕的に)
帰り際、目をこらして、山を這い上がってきたはずの古道の入り口を探しましたが、が全くわかりませんでした。
地図上にあるはずの道がありそうな場所は断崖絶壁。
わずかな踏みあとすら発見出来ず!県道からの入り口も全くわからなかったし、ここのエリアは完全に廃道になっていると思われます。
なんか悔しい。。。。。
さあ、一応、すべてのミッションが終了して、あとは、池津川集落を抜け、上垣内の車に戻るだけです。
この県道の登りが結構答えます。勾配もまあまあ急だし、疲れのたまってきた足に来ます。
イジイジ走っていると、、、、、
索道の跡?なんかの機械の保管小屋?

覗いてみると、エロ本発見!(爆)

保存状態きわめて良好!(爆)
なんか凄い昭和な感じです。(笑)
さらに進んでいくと、、、、、

紫園発見!
これ、「しおん」って読みます。
なんちゅう格好良い地名ですこと!!!
この紫園、池津川の左岸にあって、今は完全に自然に還っている集落ですが、立里鉱山からのトロッコ軌道が対岸に来ていていたようです。
森林鉄道とまではいかないけど、一応レールが敷かれていたようで、鉄な僕はかなりドキドキします。
ググりました。。。。。。
なになに?立里の未成道路の終末部から金屋渕、紫園あたりの対岸にかけて軌道跡があるとな?なに?隧道もあるとな?しかも4つも?
地図で見ると、確かにそれらしき道があります。点線道で、標高差はあまりない平坦なルート。
めっちゃ気になります!!!
とはいえ、このエリア、軽く行けるところでもないので、もし探検するなら、またの機会だな。。。。。。。
地形図を読み解くと、ほうほう、紫園あたりでは池津川を暗礁化して、その上に平場を作って基地化していたのか?めっちゃ気になります~~~!!!
さらに地図を見ていると、気になる道が。。。。。。。

中津川の先の点線道。。。。。
高低差がなく、とんでもない崖の斜面を穿って、大塔村清水までトラバースしていく狭路。。。。
絶対森林鉄道やわ!!!!!
これ書くために、地図貼り合わせて、イラレで道書いて、、、、、意味あったのかなあ???(笑)
最後は、池津川の集落を通り、小学校跡で休憩して、上垣内まで登りました!




アフターランは、野迫川温泉に行きました。
野迫川温泉から帰るとなると、まあまあ経路に悩みます。五條まで来た道を戻っていくか、高野龍神スカイラインを行くか。。。。
後者選択!!
こっちが当たりでした!!帰りのスカイラインでは、素敵な夕日に出会えました。

「君の名は」に出て来そう。。。。。
今回の探検ツーリング、走った距離は短かったですけど、かなり充実したというかかなり印象に残るツーリングでした。
今度は、やっぱり、トロッコ軌道は行ってみたい気がする。。。。。。
調べてみると、出口はインクライン?
長文、たいへん失礼しました!!!!
おわり