2018年 02月 13日
超気になることが、見つかったので、調べてみました。
うちにこんな本があります。
この中に、「奈良鉄道の遺構」ちゅう項目があります。
ぼんやり読んでたら、気になり出してきたことがあって、ちょっと調べてみました。
事の発端は、京都~伏見の近鉄線の線路は元々国鉄やった。というものです。このこと自体は既知でした。
これが、この本によると、実は、伏見やのうて、丹波橋やったというではないか!!!
伏見やと思ってたし!!!!!
とりあえずは、鉄道会社の名前がややこしいんで、説明をば。
奈良電気鉄道(奈良電)と奈良鉄道というのが有って、奈良電は最終的に近鉄。奈良鉄道は関西鉄道に買収されてから国鉄に吸収される会社だわ。
明治29年:奈良鉄道が京都~奈良間を開通させた。
明治37年:関西鉄道に買収される。
明治39年:国鉄に吸収される。
明治39年に国鉄奈良線開通ですよ!
この開通ルートだが、京都~桃山駅までの路線が今の近鉄の路線と重なることになります。
当時、奈良電(後の近鉄)はまだ、路線は敷設していません。それどころか、そんな会社自体まだ有りませんでした。
年代順に関連事項を述べてみます。
当時の官営鉄道、東海道本線は現在の東山トンネル、逢坂山トンネルという長大トンネルはなく、稲荷の南あたりまで現JR奈良線の路線でもって南下し、ここから名神高速道路のルートで大津に向かっていました。東山を南に迂回して線路を敷いていたわけです。
技術は進むもので、大正10年には東山山塊をぶち抜く長大トンネルが2本も掘られ、東海道本線の新線切り替えが行われて、東山トンネル~逢坂山トンネルルートが開通します。旧線はどうなったか?資料によると、同日に奈良線の路線も変更されて、稲荷~桃山間開通とある。すなわち、「新線切り替えしたら、京都~稲荷の路線は残して、そのまま線路を南下させて、桃山で接続する」ということは、東海道本線新線切り替えの計画の一部として同時進行だったと思われる。伏見稲荷大社という一大観光地への好アクセスを簡単には放棄できなかったのだろうと推測されます。
さあ、この結果、不要になったのが京都~桃山の現近鉄路線。
あっさりと廃止。が、しかし、伏見~桃山の間は、貨物輸送のために貨物営業はつづいていたらしい。伏見が酒処だからか、伏見は大阪からの船便の着く場所だったからか?いずれにせよ、京都~伏見の旅客扱いは、完全に廃止となったけど、伏見~桃山間は貨物路線として存続していたというわけである。
これが、大正10年の出来事。
ここら辺で出現してくるのが、奈良電気鉄道。奈良鉄道のばったもんかい!と思ってしまうし、「電気」がつくかつかへんかみたいな紛らわしい名前を認可するなよ!とも思ったけど、考えてみたら、奈良鉄道という会社は明治37年に関西鉄道に吸収されて消えた会社だから、大正10年の当時としてはややこしくも何ともなかったわけです。
ともかく、奈良電気鉄道は、大正8年に京都と奈良を結ぶ私鉄路線を開通させるために作られた会社のようです。発起人には京阪電気鉄道と関西電気鉄道(これも後に近鉄に買収される)も名を連ねている。「何で、国鉄があるのに、平行して線路敷くの?」と思うが、何せ、当時の国鉄はSLやから遅い!
奈良電は社名にもあるように、電車でもってスピードアップと、ルートを見ればよくわかるけど、一直線に南を目指すその線形によって、所要時間は大幅に短縮できると踏んだのだと想像します。
面白いのは、その建設予定ルート。
なんとなんとの、中書島~奈良。
当時すでに開通していた、京阪の中書島から線路を分岐させて、今の近鉄の路線をず~~と走って最終的には、大仏線の廃線跡を通って奈良にいたろうという計画やったらしい。
ちょっと待て!「大仏線って、かなり東の方通ってるから、かなり無理がある」と思うのだけど、Wikiにそう書いてあるのだから仕方ありません。
さて、この奈良電という会社、なかなかポリシーのない会社で、敷設経路は紆余曲折する。まあ、当時は不況という経済的問題が大きかったのだろうが、新しく建設する路線を少しでも短くしようと、起点は宇治に変更。終点も西大寺に変更。がしかし、よくよく考えてみると、時間短縮を主目的として発足したはずなのに、この経路では距離も長くなって、所要時間もさほど変わらないことが判明(もっとはよ気付よ!)。この頃になってくると不況も好転の兆しを見せ始め、当初の計画通りに再度変更。京都方は、中書島の北で京阪線に合流して、伏見桃山に至る計画となったようです。さらに計画変更!伏見桃山の北で合流するようにする!ま、いずれにしてもその辺で京阪に合流する計画だったようですね。
さあ、伏見桃山から京阪に乗り入れして京都(五条)に向かうという計画ですが、京阪は京阪でたくさん列車を走らせております。そこへ持ってきて、奈良電の乗り入れ列車まで走らせるという余裕は無く、交渉は難航。奈良電は自力で京都乗り入れを検討することとなりました。そこで、目を付けたのが、大正10年に廃止になった旧国鉄奈良線廃線跡だったわけです。
これが昭和2年の話でございます。国鉄奈良線の放棄された京都~伏見のルートは廃止後25年を経て、再び陽の目を見ることとなったわけです。ただし、元の線をそのまま使うことは出来なくて、竹田街道に開通していた京都市電と立体交差するために、竹田以南は高架化されることになりました。
昭和3年にはとうとう、西大寺から京都までが全通することになりましたが、伏見桃山は通らず、新しく桃山御陵前という駅が作られました。
う~ん。。。。何か主題とはかけ離れてきたかもしれない。。。。。
主題は、「旧国鉄を使ったのは京都~伏見なのか、京都~丹波橋なのか?」ということだ。
これ、実は両方正しいということになります。
爆!!!!
「線路」を鑑みてみると、実際に国鉄が敷設した(敷設したのは奈良鉄道やけど)ルートとして奈良電が引き継いだのはやはり、京都~丹波橋(当時は堀内駅と言った)なのです。でもでも、思い出してくれ。当時の伏見~堀内~桃山には未だ列車が走っている。そう、貨物だよ!廃線跡という意味での引き継ぎとしては、京都~伏見が正しい。
ああ。すっとした!!!!
いや、いや、それがさらに興味深いことを発見してしまった!
なんとなんと!近鉄の丹波橋駅って、いっぺん廃止されてるではないか!!!
上記に示す通り、無事に開通した奈良電の線路だが、第2次世界大戦が勃発して、「爆撃されたらやばいのではないか?」という危険性が指摘されたそうです。奈良電と京阪それぞれのどちらがやられても、京都や奈良といったターミナルへのルートが確保できるように丹波橋で相互乗り入れしておけば、何とか別のターミナルへの輸送は可能じゃない?という発想だ。
この名案が実行され完成したのは、戦後。(爆)
間に合ってないじゃん!
意味ないじゃん!
しかも、鉄道輸送網の破壊を目的に爆撃するなら、僕やったら丹波橋を攻撃する。そうすりゃ、2社全滅じゃん!
まあ、それは置いといて、そんなこんなで、奈良電の桃山御陵前のすぐ先から、京阪線に繋がる線路が敷かれ、丹波橋の北側では、それはなかなかトリッキーな線形でもって、奈良電の線路は京阪丹波橋駅に合流することになるわけだ。
線路容量一杯で相互乗り入れする京阪と奈良電。でも、乗客からすれば同じホームで乗り換えできる利便性はなかなかのもので、かなり好評だったようです。
昭和30年頃になると、奈良電の電車の制御電圧が変更になることになる。京阪と同じでないと同じ線路は走れない。さらに世の中は高度経済成長時代を迎え、列車の本数もグングン増える!結果、相互乗り入れのダイヤを組むのも大変!さらに、昭和38年頃になると、奈良電の発起人である京阪と関西電気鉄道(すでに近鉄)の間で、奈良電の取り合いが始まる!
勝者は近鉄!!
京阪としては面白くない!!!!
性能違う電車走らそうとしているライバル会社を何で今更自社の駅を使わせんとあかんねん!!!!こっちはこっちで走らせている電車だけで丹波橋駅一杯一杯じゃ!丹波橋駅一緒に使うん止めてくれや!!!!
となるのも無理はない。。。。。。
近鉄は一旦廃止していた堀内駅の再整備を行って、近鉄丹波橋駅として使用を再開することとなりました。相互乗り入れ時代の末期には京都から奈良方面への優等列車は近鉄丹波橋駅を経由させていたらしいです。
そして、ついに、昭和43年に正式に相互乗り入れと丹波橋駅の共同使用中止が決定されました。
字ばっかりで嫌きちになってきたでしょう?
線形の推移をば示しておきましょうか?
これは、現在の地図に、僕が資料から当時の線形を書き込んだだけですので、ちょっとずれたりはしてますからね。
中央左上方から京阪をくぐりながら丹波橋に向かう近鉄路線がおわかりか?
僕は元々丹波橋(当時は堀内)は経由しなかったと思っていました。絶対その方が自然なラインでしょう?
が、調査の結果、丹波橋(当時は堀内)の南から桃山駅に向かっていたようです。
グレーラインだと思ってたら、赤いラインだったというわけ。
ここから、今回の調査が始まったわけです。(どっちでもええわ!!!とかいわない!)
で、下が丹波橋での京阪との駅共用時期です。
丹波橋駅の北側はというと、緑線のようになっとりました。
で、この間の、元々奈良電だった線路部分は奈良電の丹波橋駅(当時は堀内)と共に、使用が休止されたと言うことです。(桃山御陵前~堀内間は貨物測線として残されていたらしい。)
だいぶんわかってきました。。。。。
地図を見ていると、この丹波橋より南、宇治川までの間の敷設線形がコロコロ変わった理由もわかってきた気がします。
竹田海道の市電と立体交差させるために、高架化されたという話を書きましたが、実はここらにもそういう事情がありました。
まずは、順を追っていこうと思いますが、まずは、お詫びをば。
中書島基点の場合の線形がどうしても判別できません。スイッチバック無しで南を目指すなら、不可能ではないですが、かなりの迂回を強いられてしまいます。思うに、中書島は当時から宇治線も分岐していて、接続する駅としては都合が良かったと机上では判断され、そのまま申請されたのでしょう、その後、こら無理やわ。と変更になったと。。。。知らんけど。。。。。(笑)
それはともかく、その後不況や好景気の憂き目を経験し、宇治経由なんていう訳のわからない案もありこそすれ、最終的には今の線形にほぼ沿う線形となったことは前述しました。
桃山付近での接続予定も京阪伏見桃山だったはずなのに、丹波橋と伏見桃山の間になったり、最終的には自社で京都を目指すことになるという、線形の変移は困難を極めているといっても過言ではない!
なるほど最初はこれ狙ってたのか。。。。。京阪に合流するということが前提なら、とても自然なことだと思います。
さらに、真っ直ぐ行かずに、軽く右にカーブしてみると、伏見桃山と丹波橋の間に合流。なるほど、次はこれを狙っていたのかもしれない。。。。(緑色の線)
そして、またまた地図を見ていると、近鉄線(当時奈良電)の線路は軽く東にスイングしてから丹波橋(当時堀内)に入っていきます。
まあ、京阪線に合流できなかった理由は先にも述べた通り、合流後の京阪線のダイヤが過密になりすぎるという理由で計画が頓挫したわけですが、ここにもなかなかめんどくさい問題があったようです。
さて、そのめんどくさい横やりの話です。
1.宇治川を渡る鉄橋の架橋ポイントが軍の演習地にあたっていました。
と、陸軍がいいました。
橋脚なんかがあると夜間訓練の邪魔やから、場所変えろ!
困りましたなあ。。。。。用地買収も終わってるし、今更経路変更は時間的にも難しいので、橋脚のない鉄橋にしますさかいにそれで何とか許して貰えませんやろうか?
しゃーないのお~。それで許したるわ。
ということで、宇治川を渡る鉄橋は橋脚レスの単純トラス鉄橋が誕生しました。現在でも国内最長の単純トラス橋だと!
2.政府関係者ですけど、桃山には明治天皇の桃山御陵というのが有りまして、この参道を平面交差すること、まかり成らん!
え~~~!!!!京阪や国鉄はしてるじゃないっすか!!!うちだけダメなんっすか?しゃーないなあ。。。。地下化考えてみますわ。
3.あん?地下にするやと?ここいら酒処やねんぞ!地下なんかにして水脈ブチブチにして湧き水なくなったらどないしてくれんじゃ!ちなみに、ワシら酒造関係者やけどな。
ああ。。。そうですよねえ。了解しました。高架にしますわ。ちょうど、丹波橋から五条まで京阪さんの線路走らせて貰うという計画もあかんようになってきてる感じなので、新しく堀内までの高架作らんとあかんのですわ。そっちなら依存はありませんけどいかがでしょう?
おお!そうしてくれるか?
みたいな感じでしょうか?
結果、地図の様に、微妙に湾曲した線形が出来上がったというわけです。
最後の最後に、「昭和天皇の橿原行幸有るから、奈良電やったら直通可能やろ?それまでに開通させろや!」何て無茶振りもされた結果、今の線路が完成したというわけです。
ふう。なかなか、奥深いなあ。。。。。
実は、この辺の遺構も現地には結構残っているようなので、また見に行ってこようと思います。
おわり
2018年 02月 08日
久しぶりのお散歩かな?
2018年 02月 04日
明日雪でもいいもん!
2018年 01月 28日
リベンジしに、ま〜た北山へ行ってみた。
このスレッドは、前のスレッドの続きです。(笑)
「失意の北山」から3日。。。。。。
再訪したい場所に行きたい気持ちは衰えず!!!!
日曜日にリベンジしに行きました。
もう雪はないだろうて。。。。。
柊野に着くと、水溜まりが完全凍結!!
大丈夫かよ?(笑)
上って行くと、路肩や山に雪はありますけど、路面にはほとんど無し!
「こりゃ、なかなか良いコンディションかもしれん!!!」
と思ったのはほんの数分間だけ。
大岩くらいから洒落にならん感じです。
さて、この路面、何処を走りますか?
車のタイヤの処?
ツルッツルです。
路肩の新雪部分?
下凍ってます。(笑)
僕はツルッツルの処をそ~~~~っと走ります。
ユーラシア改パスハンターはかなり前荷重なので、ちょっとトルクをかけるとツルッ!
サドルの後の方にドカッと腰掛けて、回転重視で。
ハアハア!!!
軒先にはなかなか立派なつららが。
中津川の集落。
集落内だけ雪がありません。
厳島神社の前ですけど、ここも、道路は平和です。
今日はあの鞍部方面じゃない方に行きます。
そう、こっち方面。。。。。。(笑)
実は、持越橋からここまでが一番強烈でした。
持越橋から上は、アイスバーンどころかスケートリンクみたいです。
写真撮ろうと思っても止まれないし、止まろうかなあとか考えるだけでハンドルがぶれて転けそうなります。
集中!とにかく集中!
っていうか、帰りどうすんねん!!!!
洛雲荘から上はもうなんというか。。。。。。
轍以外は凍ってる!!!
轍も凍ってる!!!!
なんべんも転けそうになりながら上って行きます。
しばらく上って行くと、凍っていたのがなくなって、フカフカの雪に。。。。
ちょっとした沢もつららだらけ。
そして、部分的に、とんでもない雪になってきました。
多分ここ、いつも帰りに休憩する橋ちゃうんかなあ?
うん、絶対同じ場所ですわ。
え?ちゅうことは、この自転車の向こう、川?
こっわ~~~~!!!!!!
で、この写真を撮ってると、上から車が来ました!!!!(\(◎o◎)/!)
「自転車で行くの?」
「まあ、行けるとこまでですけどね。っていうか、どこまで行きはったんですか?」
「かなり上まで。」
「祖父谷の分岐とか行きはりました?」
「あ。そこの上で断念した。」
「をを!!ということは、轍を辿ってそこまでは行けるってことですね。」
「ええ?いくのお?厳しいんとちゃうかなあ?これでもスタックしないか結構怖かったよ。」
「そうですか。。。。。まあ、もうちょっと行ってみますわ。」
「無理しないで。」
「了解です!(ロ_ロ)ゞ」
ここまで、いや、この先も轍がありました。この人だったのか!!!!
どうもありがとです。あなたが居なければ、ここまでも来れなかったろうに。。。。。。
しかし、どうするよ?(爆)
積雪量マジ半端ないんですけど。。。。。。。
当然乗れないんですけど、歩くのもかなり難儀です。
というのも、轍部分ですら、5センチくらいは靴がめりこみます。それ以外の部分は、見ての通り、ハブが埋まるくらい。
押すのも難儀やし!!!!
ここで、僕は止まりました。そして、考えました。
この先はさらに標高をグンと上げるわな。当然雪も極端に増えていくわな。
ジープみたいな車でもやんペしたような道が、数キロ続くわな。
ほぼ乗れない。。。。。。
で、そこまで行けたとして、目的地の祖父谷峠は担ぎ上げの峠よな。
そう、目的地は祖父谷峠でした!!
帰りのこともあるしさ!!!
こんなけ積もってたら、パスハンじゃ、ほとんど乗れないはずだし!
目的地到達は無理~~~~!!!!!
隊長!!!これ以上進めません!!!
てなわけで、ここから引き返しましたさ!
帰りは、そらもう、すごい!
轍を外すと即ドリフト。
そのままフロントが止まって、前転。
帰りだして、3分くらいでくらいました。(笑)
でも慣れてくるとこれがなかなか面白い。
しっかり後輪荷重にするために、サドルを下げて、こないだ覚えたリアステアを。。。。
きっかけ作るブレーキ全然効かんし!(あたりまえか。。。。)
まあそれでも、結構楽しく転けずに下ってきました。洛雲荘近くになってくると、雪は減りますけど、今度は雪の下が凍ってるのがわかるようになってきます。
こっちの方が恐い!
転けたら痛いじゃん!
何とか転けずに洛雲荘前へ下りてきました。
撤収ポイントから20分です。(笑)
フロントブレーキはほとんど握ってないので、キレイです。(笑)
リアブレーキは握りまくったので、真っ黒。
さあ、ここからや。
ここからが危険なんや!!!!
いやマジで危険です。
スケートリンクを下るのを想像してください。(笑)
もう、何かワンアクションでいってしまいそうな。。。。。。
足も付けない感じ。着いた瞬間に持って行かれそうな感じ。
20センチ車線をずらすのに、どんだけ気を使うことか!!!!
そして、何よりも、前から車来たらどうするよ!!!!!
ってか、これが意外に軽トラ来よるのです!
もう!!!こんな日、家に居れよ!!!
お前もや!!!!
持越橋まで下ってくると、車に遭遇する可能性はまたちょい上がりそうです。
怖い!怖すぎる!
なんで、こんなところまで上ってきてしもうたんやろう。。。。。。
普通、大曲で撤収ちゃうんかい!(実は大曲で、かなり滑りまくって足着いた。)
出合橋で休憩休憩!
あ、写真は行きしなですわ。。。。。まあ、帰りもにたようなもんだったので、許してください。
何で行きしなやと判ったかというと、ボトルとお茶が置いてますから。行きしなにお茶買ったんです。
温かいお茶買おうと思ったら、冷たいのしかなくって、まあいいやって買ったら、全然冷たくなかったっていう。。。。。
いったい、気温は何度やってんやろう?
さあ、怖ろしいアイスバーンはまだまだつづきます。
そう、ここまで来ると、スケートリンクからアイスバーンに格下げしたってもいい感じです。
気をつけてなら歩けそうな感じという。。。。
上って来るとき、滑って足着いちゃった大曲の坂を下るのが、めちゃくちゃに怖い!!!!
こんなときに限って車が上がってくる!!!
堪忍してえ~~~~!!!!!
どうすんのどうすんの!!!!
あ、ラッキー!!!10メートルくらい先にアスファルトが見えてる!!!!!
そこまではノーブレーキで、そこでフルブレーキング!!!!!
全然スピード落ちないし!!!!!
落としきれないスピードは路肩に突っ込んでいって落とす!!!!
こんな事を繰り返しながら、大岩まで下ってきました。
あと、危ない坂道は2つや!
左端の10センチくらいの凍って無さそうなところを狙って下ります。
油断するなよ!
集中!集中や!!!!
最後の最後に転けることは良くあることなんや!!!!
ものすごいこと自問自答しながら、市原からの道に合流しました。
はあ。もう、まあまあ安心。あとは濡れてるところが凍ってないか確認しつつ車に到着。
あ~~~~、今回も、目的地まで到達できなかったなあ。。。。。
祖父谷峠、もう一回雪の時に行きたいのだけど。。。。。。。
思い出というか、今から考えたら、とんでもない雪遊び。。。。。。
keroさんやレオさんや加茂屋さんMKW48君のことを強烈に思い出してしまいます。
みんなどうしてんのぉ~~~~~?????
おわり
2018年 01月 28日
失意の北山。。。。
ここんとこ、とても寒いです。
ニュースによると、今シーズンマックスの寒波だそうな。。。。
そんな天気だけど、僕は夕方にはchara先輩んちに行かねばならない日がありました。
まあ、11月から決まってたことなんですけど。(笑)
前から、「この日はずっと再訪したい場所に行こう。」と思ってました。(どこかはまだ秘密です)
で、この大寒波。
びびりましたけど、そこならば、雪でも行けるだろうし、どうせピストンなので、やばくなれば戻ればいいことだからと。行ってみること決定!
娘を京都駅まで乗せていくことになり、自宅出発は6時10分。
気温は、-4℃だ~~~!!!!
いまどきの車って凄いなあ。
シートヒーターのおかげで、1分ほどすれば背中とお尻がポカポカ。
ステアリングヒーターは30秒ほどで、暖かくなります。
シフトノブヒーターも欲しいなあ。。。。(笑)
高速を下りると、歩道とか、中央分離帯に雪が。。。。。
娘を下ろした京都駅でこんな感じ。
さあ、堀川通りを北上するぜい!!!
西本願寺の横を抜けて、五条通を越える頃、走行車線上にもしっかり雪が。。。。。四条を越えると、車のスピードもガッツリ落ちます。。。。そして、丸太町まで来ると、もう真っ白。。。。。
京都市内恐るべし!
それでも、まわりは結構普通に車も走ってるし、自転車だってバイクだって走ってます。
行けるところまで行っちゃおう!
で、丸太町スタート!
「ズリズリズリ!!!」
ををう!今、滑ったやん!!
そろそろと進むこと数百メートル。
中立売の交差点で信号。
そしてスタート。
アクセルあおってクラッチミートしたら滑りそうなので、アクセルは踏まずにそーっとミート。
「ズリズリズリ!!!」
ををう!また、滑ったやん!!
しかも、この中立売交差点は、なんというのか、若干道路が盛り上がっているというのかなんというのか、ここで車が横向きそうになります。
ひ~~~~!!!!ぼかあ、雪道慣れてないんだよ!
約300m先の今出川交差点。停止時も滑る!そんなにブレーキ踏んでないし!
そっとドアを開けて、路面状況を確認すると、
これは凄い!!圧雪状態による凄いアイズバーンというやつかなあ?って思ってるしりから目の前で歩行者転ける。
僕は右手を動かし、左に指示器を上げました。。。。。。
ええ。自主撤退を決め込んだのですよ。京都駅からここまで来るのと同じくらい北上しないと行けないのだ。無理かもしれない。じゃ、この辺に車駐めて自転車で行く?いやいや、このアイスバーンはかなりやばいと思う。。。。何より、一人だったら何とかなる気するけど、廻りが制御不能かもしれない!
もう、鼻の穴満開だったのが呼吸困難なくらいしょぼしょぼです。
今出川通りでは、西行きは北側の日陰になりますので、そらもう。。。。カキンカキンです。
隣の車が発進する時にこっち寄ってくるし、
おいそこのミニバイク!今日は、歩いて行けよ!!!
そしてそこの自転車の女子高生よ!お母さんは「今日は止めとき!」って言わなかったのか?
千本今出川を西向きの写真です。
タイヤの跡とか着いているので、さっきの場所よりは雪多くて、まだ圧雪されてない感じでしょうか?行けそうだけど、ここも指示器は左(帰る方向)です。(笑)
千本通りを南下します。
ピーポーピーポー
救急車来た!!!どこやねん!!!
後かい!!!!
この状況で寄れって言うのかよ!
後、バイク走ってきてるやないの!!!
この状況で寄ったら、バイクに突っ込まれるかバイク転けるかどっちかやと思うぞ。
と、さすがに救急車も迫ってくるスピードがとても遅い!
この間に左をバイクに追い越してもらう。信号の手前で左によると、救急車が抜いていきました。で信号で止まる!
をを!!!転けて半分気絶してる人が。。。。。
余所見してるとこっちが危ないので、そそくさと走ります。四条辺りまでなんかすると、雪はだいぶん減ってきました。
しかし、止まる時にABS!!!危ない危ない!まだ油断出来ないわ。
七条を越えると、何かもう普通に感じる。(笑)
九条まで来ると、完全に普通。
改めて写真見ると、まわりは結構雪一杯あるのですが、数十分前に比べて、全く問題なし!
家の近所まで帰ってくると、全く雪無し!降ってもいなかったようです。。。。。
自宅に戻って、屋根から自転車をおろし、後片付けと着替えを済ませて、午前中は自宅待機しました。
そんなこんなで、めっちゃ欲求不満!!!!!
つづく。。。。。(笑)
ちなみに、何故このカテゴリーかというと、屋根にはユーラシア改パスハンターを積んでいたからです。(^_^)V